本文
臨済宗妙心寺派、清延山宝樹寺の観音堂に安置されている木造千手観音菩薩坐像(像高56cm)は檜材の寄木造りで、鎌倉末期の作と推定されています。
寺伝によれば吉田藩家老飯渕吉兵衛家の念持仏として寄進されたもので、飯渕家が宇和島藩主伊達秀宗公の従臣として、仙台から宇和島移住の折、持ってくるされたものか、京仏師系譜の流れの貴重な学術的資料となるきわめて精巧な仏像であるといわれています。
現在、破損がひどく、大切な臀や捧持物に欠落があって、このまま放置するには実に惜しいことで、修理保存の必要性があると見なされています。
飯渕家は明暦3年(1657)、吉田藩分知に当り、初代藩主伊達宗純公に従い、家老職を代々つとめていましたが、吉兵衛の時、故あって柏田に隠居し、内田姓を名乗りました。
現在、「吉兵衛屋敷跡」と寺横の「五輪塔数基の墓地」が名門の昔を物語っています。 (町指定有形文化財)
所在地:柏田宝樹寺
指定年月日:昭和52年10月28日