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■文化財

文化財

指定文化財目録 (平成17年1月1日現在) 

番号指定
区分
名称所在地指定年月日
1国有善光寺薬師堂1棟・附厨子1基小松昭和52年6月27日
2国民伊予神楽内深田昭和56年1月21日
3県記イトザクラ及びエドヒガン内深田昭和24年9月17日
4県有鬼北文楽人形頭・衣裳道具一式出目昭和34年3月31日
5県民清水の五つ鹿踊り清水昭和40年4月2日
6県記岩谷遺跡岩谷昭和57年3月19日
7町有木造薬師如来坐像及び二天十二神将小松昭和52年10月28日
8町有木造如意輪観音椅像昭和52年10月28日
9町有木造如意輪観音椅像、毘沙門天及び不動明王立像昭和52年10月28日
10町有木造釈迦如来坐像上川昭和52年10月28日
11町有木造虎関師錬倚像上川昭和52年10月28日
12町有木造千手観音坐像清延昭和52年10月28日
13町有両界曼陀羅昭和52年10月28日
14町有書本大般若経沢松昭和52年10月28日
15町有庚申塔と慶長の墓碑吉波昭和52年10月28日
16町記多武が森城址広見昭和52年10月28日
17町記武士狩野古戦場近永昭和52年10月28日
18町記鳥屋の森城址生田昭和52年10月28日
19町記甌穴群広見昭和52年10月28日
20町記河内神社の大杉及び社叢下大野昭和52年10月28日
21町記西野々のクロガネモチ西野々昭和52年10月28日
22町記法師庵の大イチョウ大宿昭和52年10月28日
23町記勝山城跡上大野昭和55年11月5日
24町有アンモナイト化石中のアナシビリテス・オーノイ(貝の化石)外下鍵山昭和55年11月5日
25町記義農武左衛門顕彰碑下鍵山昭和55年11月5日
26町有武左衛門大いちょう上大野昭和55年11月5日
27町民五つ鹿踊り上鍵山昭和55年11月5日
28町民花とび踊り父野川上昭和55年11月5日
29町有成藤新田神社棟札成藤平成7年2月27日
30町有鳳凰山成杖寺六導図内深田平成7年2月27日
31町有笛吹池清延平成7年2月27日
32町有普門山観音寺千手観音西野々平成7年2月27日
33町有奉公明伝集清水平成7年2月27日
34町有下大野庄屋長屋門下大野平成7年2月27日
35町有円通山善福寺跡逆修塔・宝篋印塔川上平成7年2月27日
36町有大安山禅定寺阿弥陀如来像広見平成7年2月27日
37町有大安山禅定寺唐櫃広見平成7年2月27日
38町有大安山禅定寺戒檀石広見平成7年2月27日
39町有広見大本神社棟札広見平成7年2月27日
40町有白王天満神社棟札延川平成7年2月27日
41町有一の宮大明神経筒興野々平成7年2月27日
42町記奈良天満神社社叢奈良平成7年2月27日
43町記水分層奈良平成7年2月27日
44町記一の森城址吉波・西仲平成7年2月27日
45町記鳳凰山成杖寺大イチョウ内深田平成7年2月27日
46町記安森鍾乳洞小松平成7年2月27日
47町記龍天廃寺跡下大野平成7年2月27日
48町民鬼北文楽岩谷平成9年7月25日
49町有等妙寺「授戒本尊」画像平成12年3月31日
50町記等妙寺跡中野川平成12年3月31日
51町有金泉寺「長楽寺記」清水平成12年3月31日

国有:国指定有形文化財
国民:国指定民俗文化財
県有:県指定有形文化財
県民:県指定民俗文化財
県記:県指定記念物
町有:町指定有形文化財
町記:町指定記念物
町民:町指定民俗文化財

国指定重要文化財「善光寺薬師堂」

 善光寺薬師堂は、医王山善光寺境内にある仏堂で、室町期の禅宗様式の特徴を備えた建物です。しかも四国では最南端に位置する貴重な物件として国の重要文化財に指定され、昭和57年(1982)には復元修復を完了しています。薬師堂
 薬師堂は、三間堂で屋根は方形づくり茅葺きで、堂内の中央に四天柱を立てた形式は室町時代末期の一間四面堂の伝統を継承したものと考えられています。
 なお、堂内にある厨子は一間厨子で入母屋造り板葺であり、禅宗様の建造物です。薬師堂とあわせて指定されています。
厨子

 県指定史跡「岩谷遺跡」

 岩谷遺跡は、広見川東岸の河岸段丘上にある縄文後期(約3000年前)の遺跡です。この遺跡は、上段、下段の二段に分かれており、どちらからも多量の縄文後期の土器や石器が発見されています。特に下段からは、長さ75メートルにわたる環状列石や組石等の配石遺構が検出されています。現在では、豊漁を祈念した祭祀遺構ではないかと考えられています。
 発見された出土遺物の中には、祭儀用と見られるペンダント風の石製装飾品も含まれています。
 このような配石遺構は、東日本では多く見られていますが、西日本での発見は珍しく貴重な遺跡であり、昭和57年に県指定史跡になっています。
岩谷遺跡

町指定記念物「旧等妙寺跡」

 旧等妙寺跡は、鬼北町南側、鬼ヶ城連山の郭公岳中腹にあります。この遺跡は、郭公岳北側の緩やかな地形を巧みに利用して、天台宗山岳寺院としての伽藍配置がなされています。確認された曲輪と称される削平地は20カ所余りあり、その中には本堂跡、カネツキ堂、僧坊跡や墓の畦と言われる2段からなる中世の集石墓があります。
 「宇和旧記」によると、開基は元応2年(1320)で、開山は淡路島出身の理玉和尚となっています。宗派は天台宗、本尊は如意輪観音で、西園寺宣房の庇護を得て10年後には12坊まで造営し、後醍醐天皇から勅願寺と定められ、関東の宝戒寺・加賀の薬師寺・肥後の鎮興寺とともに天下四個寺・四戒場の一つとなり、京都の名刹法勝寺の法系下に置かれるかれることとなりました。以後、理玉から旭栄まで25世260年にわたって寺運はますます栄えたそうです。ところが、豊臣秀吉の四国征伐の後、天正15年(1587)戸田勝隆の宇和郡入りによって寺領や寺宝を没収され、加えて翌天正16年(1588)の天下により、伽藍も焼失、隆盛を極めたさしもの名刹も一度に荒廃したと書かれています。現在までの調査では、各遺構に点在する石積や礎石・柱穴等が数多く検出されています。出土遺物では、青磁・白磁・青花・天目茶碗など当時中国から運ばれた陶磁器や龍の模様を貼り付けた全国的にも珍しい褐釉龍文壺が出土しています。国産のものでは、備前焼の瓶・擂り鉢・天目茶碗・火鉢・香炉・宋銭・和釘等が出土しています。
 また、このような中世の山岳寺院が、なぜこの広見の地に建てられたのかは、まだわかっていません。
本堂跡石積遺構
褐釉龍文壺


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